夏の曲だけど冬を感じてしまう この一曲
明かに夏の曲なのに猛吹雪の雪道で聴いたがために冬の景色しか浮かんでこない。そんな季節違いの曲は無いだろうか。
沢田聖子さんにSummer Eveという曲がある。夏を前に恋人が出来、そして別れるという内容の曲である、と解釈している。この曲はアルバム Too Tooに収められている。
タイトルに「Summer 〜」とあるように夏の曲なのだが、この曲を初めて聞いたのは万座スキー場に向かう猛吹雪の万座ハイウェイ。この時はFR車だった事もあり途中でチェーンまで付けたほどの雪だったので強烈に冬のイメージがある。
今でも雪景色の中をクルマで走ると思わず聴きたくなる一曲だ。夏の曲だけど。。
Summer Eve~真夏を待つように 沢田聖子 SHOKO SAWADA
raspberry PiでPC-98環境を実現
これ工場でひっそりと動いている産業マシンコントローラーとして欲しい人がたくさんいそう。
これで98が動くかと思うとwkwkする。
沢田聖子さんを聴き続けて40年〜私にとっても青春の光と影
まさに40年前のデビュー直後から沢田聖子(しょうこ)さんを聴き続けているファンの一人が私です。iTunesには中高大学時代に買ったCDから取り込んだ彼女の楽曲が148曲入っています。
記事にもある松田聖子さんと間違われた件はライブの鉄板ネタで「よく間違われるんですよ。でも聖子ちゃんの本名は蒲池法子、私は本名ですから」と言っていました。
記事でもWikipediaでも「迷走してた」と言われるフォノグラム時代ですが、私はそうは感じていませんでした。「アスファルトの上の砂」とか「自問」とか好きです。自問なんて頑張るあなたへの力強い応援ソングで、当時高校生だった私にとっては受験勉強頑張る応援歌でしたから。
アスファルトの上の砂は西島三重子さんの作曲です。西島さんと言えば池上線が有名ですが、僕はラブ・ソングが大好きです。 アメリカ横断ウルトラクイズに対抗したのかどうかTBSが「クイズ列車出発進行」と言う列車に乗りながらクイズをする番組を始めたのですが、その番組のエンディングテーマでした。良かったら聴いて見てください。
聖子さんの初期のクラウン時代だと落葉の部屋が素敵です。
当時はこのジャケ写の聖子さんが可愛いと思いました。4つもお姉さんなのにね。
いつかバースデーライブに行ってアスファルトの上の砂をリクエストしたいと思います。彼女のバースデーライブはオールリクエストライブなんです。
あぁ、青春時代そのものですね。
まぼろしの豆腐一丁そばは夏季限定品だった
"Machida, , Japan" by ssoosuke is licensed under CC BY-NC-SA 2.0
ある時に小田急新宿駅の改札外にある店でたまたま偶然に出会った豆腐一丁そばを求めて何度か通ったのですが、二度とお目に掛かる事がなく寂しい思いをしていました。
販売終了になったのではなく、夏季期間限定品だったんですね。
マジで豆腐一丁がドンっ!と乗っている豪快な冷たい蕎麦でお薦めです。
ヨコハマだけどヨコハマじゃない この一曲
振り返ること35年前、まだ高校3年生で運転免許を取得する前の1984年の暮れのこと。
受験勉強も佳境に入って来ると、ついつい大学に入学した後の生活を妄想してしまう。
一人暮らしは楽しそうだとか、素敵な出逢い(勿論、先生との出逢いはこれっぽっちも想像していなかった)があるかもとか、どんなサークルに入ろうかとか、そんな妄想を度々していた(現実逃避とも言う)。
その妄想の中で自動車をドライブする妄想が最強だった。
妄想の前年である1983年2月、首都高速湾岸線が1号羽田線の昭和島JCTから東関東自動車道まで接続された。海沿いの片側3車線の高速道路は、まだお台場が13号埋立地と呼ばれて、フジテレビもビーナスフォートもビッグサイトも何一つ無い一面の雑草だけが生い茂る空き地だったところに出来たたった一つの近未来的建設物であった、と妄想していた。
"East Exit of Tokyo-ko-Tunnel" by ykanazawa1999 is licensed under CC BY-NC-SA 2.0
何しろ妄想なので実物を見ていないのである。唯一見たのは東京港トンネル。これは1979年の宇宙博(船の科学館周辺で行われた)の時に、これまた何もなかった寂しい品川駅港南口からシャトルバスに乗って通ったことがあった。路線バスで海の下を走るのは都会的を通り越して未来的だと感じた。ここから妄想するのである。
妄想は続く。その湾岸線を自動車で走る。自動車はハッチバックかクーペのスポーツカー。走るのは湾岸線の西行きだ。葛西からお台場、横浜へ向かうイメージ。助手席にはポニーテールの少女が座っている。その妄想で脳内再生される曲は、もうこれしかない、ヨコハマA・KU・MAだ。
1982年にリリースされた中森明菜の2枚目のアルバム バリエーション<変奏曲> に収録されているこの曲と湾岸線のイメージ(何度も言いますが妄想です)が合いすぎて、高校生だった僕はウォークマンで登下校時にヘビロテ状態。脳内妄想でポニーテールの少女をどれだけ助手席に乗せた事か知れない。
ところが ヨコハマA・KU・MA をよく聴いてみると、歌詞にはどこにも「高速道路」とか「湾岸」とかの単語は入っていない。むしろ歌詞は本牧埠頭の倉庫街を描いているようだ。でも、この出だしから最後までアップテンポな曲には断然、高速道路が似合うと思う。
さて、冒頭で「1983年2月、首都高速湾岸線が1号羽田線から東関東自動車道まで接続された」と書いた。実は、ヨコハマ、湾岸線でイメージする最大のハイライトであるベイブリッジが開通したのは1989年のバブルど真ん中。脳内妄想してた5年後である。羽田空港もまだ沖合展開前の小さい空港だった頃で、湾岸線が走っている辺りは、1984年当時はまだ海の上。偶然にも羽田沖合展開の工事が始まったのが正に脳内妄想してた1984年で完成するのは9年後。妄想とはそういうものである。
さて妄想ではなく現実にマイカーでヨコハマA・KU・MAを聴きながら湾岸線をドライブすることが出来たのは1991年の夏。大学を卒業して社会人2年目に自動車を買い替えた後である。新車が嬉しくて当時、埼玉県の南部に住んでいた私は首都高5号線板橋本町から入り横羽線から大黒PAを経由して湾岸線、葛西から中央環状線で鹿浜橋で降りるというドライブを何度か繰り返した。高校時代の脳内妄想がここに実現したのである。
ただ悲しいかな妄想と現実はやはり違う。その現実のドライブでの助手席にはポニーテールの少女どころか誰も乗っていない空席だったのである。
愛しの富士そばというタイトルにやられた
東洋経済から配信されてきた駅そばの記事を読んでいて「立ち食いそばって電車移動の人にとっては日常的なおやつだよねぇ」と思いました。
日常的といえば、首都圏では富士そばが駅前にあるあるのが日常です。冨士そばではなく富士そばが正解。私の場合は富士そばではそばよりもかつ丼を食べる割合の方が多いですが、富士そばラブなあなたにその名も愛しの富士そばという書籍が2月に発売されます。
正直この企画は興味ある輩が大変多いと思います。山手線とその周辺の駅そばは結構食べ歩いたので言いたいことはありますが、この愛しの富士そばという書籍タイトルはブラボーとしか言いようがないです。
富士山そばってどれくらい売れるんだろう?とか、期間限定の天ぷらってどんなのがあったのか?とか知りたいと思うのは私だけでしょうか。
富士そば御徒町駅前店はJR御徒町駅ではなく東京メトロ御徒町駅”上”にあるのですが、ここで日本在住がそれなりに長そうな共に金髪のイケメンとお姉さんの外国人カップルがカウンターでかつ丼セットを食べながら話をしているのを見ると「クールジャパンってコレだよなぁ」と思ったりもしました。
で、この愛しの富士そばの著者の鈴木弘毅さんが実は上記の東洋経済の記事の作者です。なかなか興味深い本を出していらっしゃいます。愛しの富士そばは2/21発売です。