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ヨコハマだけどヨコハマじゃない この一曲

振り返ること35年前、まだ高校3年生で運転免許を取得する前の1984年の暮れのこと。

受験勉強も佳境に入って来ると、ついつい大学に入学した後の生活を妄想してしまう。

一人暮らしは楽しそうだとか、素敵な出逢い(勿論、先生との出逢いはこれっぽっちも想像していなかった)があるかもとか、どんなサークルに入ろうかとか、そんな妄想を度々していた(現実逃避とも言う)。

 

その妄想の中で自動車をドライブする妄想が最強だった。

 

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by ホンダアクセス

 

妄想の前年である1983年2月、首都高速湾岸線が1号羽田線の昭和島JCTから東関東自動車道まで接続された。海沿いの片側3車線の高速道路は、まだお台場が13号埋立地と呼ばれて、フジテレビもビーナスフォートビッグサイトも何一つ無い一面の雑草だけが生い茂る空き地だったところに出来たたった一つの近未来的建設物であった、と妄想していた。

 

East Exit of Tokyo-ko-Tunnel"East Exit of Tokyo-ko-Tunnel" by ykanazawa1999 is licensed under CC BY-NC-SA 2.0

 

何しろ妄想なので実物を見ていないのである。唯一見たのは東京港トンネル。これは1979年の宇宙博(船の科学館周辺で行われた)の時に、これまた何もなかった寂しい品川駅港南口からシャトルバスに乗って通ったことがあった。路線バスで海の下を走るのは都会的を通り越して未来的だと感じた。ここから妄想するのである。

妄想は続く。その湾岸線を自動車で走る。自動車はハッチバックかクーペのスポーツカー。走るのは湾岸線西行きだ。葛西からお台場、横浜へ向かうイメージ。助手席にはポニーテールの少女が座っている。その妄想で脳内再生される曲は、もうこれしかない、ヨコハマA・KU・MAだ。

 

ヨコハマA・KU・MA

ヨコハマA・KU・MA

  • provided courtesy of iTunes

 

1982年にリリースされた中森明菜の2枚目のアルバム バリエーション<変奏曲> に収録されているこの曲と湾岸線のイメージ(何度も言いますが妄想です)が合いすぎて、高校生だった僕はウォークマンで登下校時にヘビロテ状態。脳内妄想でポニーテールの少女をどれだけ助手席に乗せた事か知れない。

 

ところが ヨコハマA・KU・MA をよく聴いてみると、歌詞にはどこにも「高速道路」とか「湾岸」とかの単語は入っていない。むしろ歌詞は本牧埠頭の倉庫街を描いているようだ。でも、この出だしから最後までアップテンポな曲には断然、高速道路が似合うと思う。

 

さて、冒頭で「1983年2月、首都高速湾岸線が1号羽田線から東関東自動車道まで接続された」と書いた。実は、ヨコハマ、湾岸線でイメージする最大のハイライトであるベイブリッジが開通したのは1989年のバブルど真ん中。脳内妄想してた5年後である。羽田空港もまだ沖合展開前の小さい空港だった頃で、湾岸線が走っている辺りは、1984年当時はまだ海の上。偶然にも羽田沖合展開の工事が始まったのが正に脳内妄想してた1984年で完成するのは9年後。妄想とはそういうものである。

 

さて妄想ではなく現実にマイカーでヨコハマA・KU・MAを聴きながら湾岸線をドライブすることが出来たのは1991年の夏。大学を卒業して社会人2年目に自動車を買い替えた後である。新車が嬉しくて当時、埼玉県の南部に住んでいた私は首都高5号線板橋本町から入り横羽線から大黒PAを経由して湾岸線、葛西から中央環状線鹿浜橋で降りるというドライブを何度か繰り返した。高校時代の脳内妄想がここに実現したのである。

 

ただ悲しいかな妄想と現実はやはり違う。その現実のドライブでの助手席にはポニーテールの少女どころか誰も乗っていない空席だったのである。