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21世紀になって過激派の活動を知るだけでなく応援された人間が国会にいくとは思わなかった

まさか21世紀になって中核派の活躍を知る事になるとは思いませんでした。


僕が学生だった80年代後半、出身大学には中核派はおろか全学連と関係のあるクラブ・サークルは皆無でした。田舎の大学であり教育学部は教員採用試験に不利な活動をする学生がいる訳もなく、工学部は実験とレポートに追われ余計な事する時間がなく、医学部は女喰い放題でウハウハな時間を過ごすという実務系3学部では過激派活動する学生などいる筈がありません。
そんな中で僕のいた新聞会は全国学生新聞連盟という全学連傘下の団体に所属する稀有な団体でしたが、全学新からは東大、慶大、筑波大と並んで睨まれる存在でもありました。何故なら東大新聞会はなんと当時から財団法人で運営されており真っ当な内容で読み応えもあり確か記者には給料が支払われていた筈です。リクルート創業者の故江副さんが広告で食っていける新聞会に育て上げたのでしょう。慶大には複数の新聞会がありましたが全学新加盟の新聞会はここも真っ当な内容の新聞でした。問題児は筑波とウチで「大変だ!ヘンタイだ!」「性風俗ルポ」など夕刊紙並の記事を載せていたのですから睨まれるのも当然です(どっちがどっちの記事を載せたのかは(秘)ですが、どっちもどっちです)。何しろ当時でも都内マンモス私大から送られてくる新聞のタイトルには「学長室をコンクリートで封鎖!」「三里塚へ集合せよ」なんていうのがトップ記事で載っていたのですから(笑)。

そんな田舎大学で入学試験の日に校門前で勧誘(*1)がてら新聞のバックナンバーを配布(勿論、下ネタ無しの健全な奴です)しているとヘルメットにマスクをした人物が受験生にビラ配りをしているではありませんか。ウチにも過激派いたのか!と突撃取材をしに行きましたよ。近くに寄って行くと彼はこう言って受験生にビラを配っていました。「こんにちは、中核です」(笑) 非常に礼儀正しいですね。詳しく聞くと近くの他大学から出張して来たのだとか。

東京都内の数万人も学生がいる大学なら一定の割合で今でも過激派活動をする人はいるでしょうが、それ以外の大学では過激派活動は80年代の時点で既にシーラカンス状態でした。彼はそこから応援を受けていたという事が驚きです。過激派活動は社会や政治に対するうっぷんを力で示す手段であり決して言論で示す手段ではありません。それが国会に持ち込まれた(じゃぁ社民党はどうなのよ?あそこも同じ穴の狢でしょ?というあなた!流石にそれでは福島瑞穂も怒ります。「私は国会では言論で勝負している」と)のです。勝ってに応援されたと主張するでしょうが応援されるべくしてされたとも言えます。少なくとも拒否反応はしていないようですから。もっともそこまで彼の知識が足りずウエルカムしたかも知れませんがそれは余りに浅はかであると言えます。この男が6年間に渡って国会に存在する意味を考えるべきです。

*1 合格者ではなく受験生にビラ配るのはどうかという話もありますが、60年代安保の時代にまで遡るんですが言論の自由を守る為に学生自治会から新聞会を独立させて自治会と対等の立場にした歴史的経緯がウチの大学にはあり、その名残で新聞会は自治会とは無関係に独立した予算を持ち大学事務局と交渉できる特別な存在でありました。まぁ下ネタで女子学生からは総スカン食いましたが。